はじめに...
2019年9月23日から1年間,高橋先生が学術研究員としてドイツへ行かれました.このページは高橋先生のドイツでの日常的な出来事「ドイツ便り」を掲載したサイトとなります.
No.2「マットレス」
No.3「ご褒美」
No.4「白飯」
No.5「頼れるヤツ」
No.6「改札考」
No.7「ミュンヘン」
No.8「足」
No.9「クッキングヒーター」
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本格的な自炊を始めたかったのですが,
問題はクッキングヒーター.
旧式のもの(便り:No.5の写真右)は壊れて火力調整が効かず,
オムレツを焼くのに20分かかる頼りなさ.おまけに,
ある位置に回すと部屋のブレーカーが落ちるという,
とっても危ない代物.耐えかねて窮状を訴えたら,
交換してもらえることになりました.
新しいヒーターがやってくる,うれしいな♪
とワクワクしていたら,やってきたのは黒塗りの
ガラストップを持つ洗練されたデザインのヒーター.
これって,ひょっとしてIH?だったら
鍋,フライパン,全部買い直しじゃないのか!?エライこっちゃ,
と思って恐る恐るONしてみたら,赤く光りだした(写真).
調べてみたら,熱放射(輻射)の原理を使ったヒーターでした.
https://www.schott-ceran.com/japanese/variety/technology.html
ガス,IHしか使ったことがない自分には馴染みがなかったので,勉強に
なりました.火力もそこそこ出るみたいだし.
さあ,何作ろうかな・・・
No.10「小道と偉人」
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大学のそばにある何の変哲もない小道の名前,
Adolf Martens(1850-1914)
という科学者にちなんだものだそうです.
無拡散変態によって形成される金属の微細組織
Martensite(マルテンサイト)は彼の名前に由来すると
言われれば,材料系の学生さんなら
ピンと来るのではないでしょうか.
彼と同時代の科学者に「バウシンガー効果」で
有名なJohann Bauschingerがいますが,
彼らはそれぞれ連邦材料研究所(ベルリン),機械技術研究所
(現ミュンヘン工科大学)の設立に尽力したドイツの偉人.
やはりこの国の材料研究には歴史があるなあ・・・
以下は,こちらのH. Mughrabi名誉教授から直接解説いただいた内容です.
He was the founder of what is now called:
„Bundesanstalt für Materialforschung und -prüfung (BAM)“, Berlin.
This was Germany’s first Institute of materials testing,
together with the „Mechanisch-Technisches Laboratorium“ in Munich,
founded by Johann Bauschinger. Both Institutes were founded in 1871.
No.11「Dislocation」
No.12「Weißwurst」
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同僚のSさんの昇進を祝うささやかな会合がある日の10時からあった.
スタッフ,学生が集まり,ゆでたWeißwurst(白ソーセージ)に
甘味のあるマスタードを付けビールを飲みながら食べるのが,
バイエルンっ子である彼ら流のお祝いだそう.
面白いのが「白ソーセージを食べていいのは午前中に限られる」
という昔からのしきたりを守っていること.
そういえば,地元レストランで見たメニューにも,
Weißwurst 11:00-13:00 Uhr
と書いてあった.なぜ??と同僚に聞いたら,はっきりしたことは
わからないが,傷みやすい白ソーセージを安全に美味しく
食べるためにこのようになったのだろう,とのこと.
異文化やなあ,と感心しながら片付けに入ったら,
「いいよ僕がやるから置いておいて」
とSさん.いやいやあなたのお祝いでしょう,と思っていたら,
他の皆はどんどん引き揚げ,Sさん一人でビールの空き瓶やらなにやらキビキビと片付けている.
そういえばここの人達,誰かの誕生日にはその人が家で焼いてきた手作りケーキを皆に
振る舞っていたな・・・
祝いの主役が働く,これが彼ら流なのね(ここだけのような気もするが(^^;).
異文化やなあ・・・
No.13「Lange Nacht」
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こちらでは2年に一回,
Die Lange Nacht der Wissenschaften
(英訳:The long night of science)
という催し物が開かれ,今年はそのあたり年.
ニュルンベルグとエアランゲンを結ぶ地域一帯の大学・企業が
協力して行う,市民向けの壮大な科学フェス.
でも「土曜18:00-25:00」という開催スケジュールに最初は「??」.
日曜が完全休業になるこの国では,土曜夕方までに
買い物を済ませるという習慣が根強いから,こうなったのね...
そして開幕.同僚のEさんが企画した
「The Science of Superheros」
というトークショーにお邪魔した.
話し手はアメリカから来た同業の先生.
アイアンマン,X-men,ワンダーウーマン,
スーパーマン,バットマンなどのスーパーヒーローたちが身にまとうスーツや武器は
どこまで科学的なのかを材料工学の立場から掘り下げるというもの.
アメリカンジョーク連発で満席の会場は終始笑いに包まれた.
先生のトークに惚れ惚れしただけでなく,英語(米語)でのジョークに
壁もなく即応していた地元の聴衆にも驚いた.
聞けば,若い人ほどドイツ語吹替・字幕に頼らず米映画を楽しむとのこと.
「好き」は壁を無くす,・・・このフェスの狙いとも絶妙にマッチしていて,心憎いばかり.
ちなみに私は早すぎる展開について行けない場面が多く,悔しかったので
「2回目」に潜り込んでようやく理解...(^^;)
No.14「欠航」
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一時帰国のために成田に降り立ったらどしゃ降りの雨.
千葉県を中心に避難指示が出るほどの状況.
他の便は時間を追うごとに欠航が決まっていく中,
乗継便の状況が決まらぬまま待ち続けること9時間.
結果は,・・・「×」.
空港と都心を結ぶ交通網も機能不全の中,
空港内で一夜を過ごすことになった.
深夜0時ごろに寝袋,水,クラッカーが
空港側から配給され,
少し落ち着いて体を横たえることができた.
20時間近い座り姿勢から解放され,パンパンだった足は
ラクになったが,硬いタイルの上では睡眠不能.かえって,いろいろなことを考える時間に.
とくに避難所で何日も過ごす方々のことを思った時には辛くなった.
幸い翌日朝には(羽田から)家路に就くことができた.
もうゴメンだが,貴重な体験になった.
No.15「森」
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二週間ぶりに戻ったエアランゲンは毎日どんよりした天気.
日曜なのに気が滅入るなあ,と思っていたら
昼から急に日が差してきた.
近くにサイクリングできる森があるらしい.行ってみた.
ぬかるみに気を付けながら延々続く砂利道をゆっくり進む.
さりげなく手入れされた森は,まさに憩いのオアシス.
途中,道を外れて落ち葉の絨毯(じゅうたん)へ踏み入る.
傾きかけた太陽に照らされた落ち葉は増々紅く,
まるで絵画を観ているよう.
耳を澄ますと絨毯に舞い落ちる葉の音がかすかに聞える.
家の裏山に分け入って遊んだ幼い頃の感覚が一瞬甦る.
帰ってきたら気分もすっかり晴々♪
ドイツ人がネイチャリングをこよなく愛する理由が分かった気がした.
No.17「男の料理」
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色んな料理を試している.
上手くいく時もあればそうでない時も・・・.南瓜の煮物は大失敗だった.煮汁を吸ってべちゃべちゃに
なっただけで,味も激マズ.
こちらの南瓜はそもそも煮物に向いていないことを学んだ.
今日は気を取り直して,魚と野菜の炒め煮を作ろう.
子供のころ父が時々作ってくれた男の料理.
見よう見まねでレシピを覚えたが,まさか異国の地で
やることになるとは.
材料を準備しながら手順を思い出し,鍋があったまってきたらready go!
炒め物は後戻りができないから,段取りと勇気が重要.
わかっちゃいるけど,こんなんでよかったかな・・・と半信半疑のままゴールイン(写真).
この間,わずか10分.
お味は・・・Sehr gut!! 白いご飯が進む!幸せ!
せっかくなのでレシピ紹介しておきます(論文調で).
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【Title】 魚と野菜の炒め煮
【Introduction】
白いご飯に合う手軽なおかずに困ったら試されたし.
【Materials(2食分)】
キャベツ 4枚くらい,ホウレン草 2束くらい
玉ねぎ(中) 1個,魚缶 1個(←味付け無しのサバかイワシ)
卵 2個
醤油 大さじ4くらい,砂糖 大さじ1くらい
みりん 少々(←料理酒でもOK),油 大さじ4くらい
【Methods】
①野菜を適当な大きさに切る.
②底の深い大きめの鍋(※)に油を入れ火にかける.
(※最初は野菜のボリュームが多くフライパンだと手こずる)
③玉ねぎ,キャベツを先に投入し,しんなりするまで炒める.
④続いてホウレン草を投入.
⑤野菜のボリュームが十分減ったところで,魚缶と調味料を全て投入.
⑥魚をある程度ほぐし,なじませる.
⑦とき卵をかけ,少し固まったところで火を止め完成.
ポイント:水を入れない(野菜から出る水分だけで十分)
【Results and discussion】
自らの舌で味わい論ぜよ.
【Acknowledgement】
我が父に謝意を表する.
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No.18「Weißwurst(その2)」
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No.12で紹介したWeißwurst(白ソーセージ)パーティーの
幹事を思いがけずやることになった.
ここに赴任して日が浅い同僚のDさんが,
良かったら二人でやらないか,と誘ってくれたのだった.
当日の朝,食材搬入で手が空かない彼からメールが来た.
入口のメッセージボードにこう書いておいてね:
Yoshi und D's Einstand, 10:30, Weißwürste und Brezeln.
「Einstand」の意味も分からぬまま,とりあえず言われた通り書く.
(調べてみてください・・・笑えます ^^)
そして定刻.普段ドイツ語しか喋らない学生が,Weißwurst目当てに
にこやかに英語で話しかけてくる.心をつかむ為には胃袋をつかめ,
とか言うけど,万国共通だな・・・と思いながら,ビール片手に
他愛もない会話をここぞとばかりに楽しむ.
・・・とここまで来て,超鈍感な私でも気付く.そうか,主役(ホスト)が来客者を
自腹でもてなし,存在を認めてもらうのが「パーティー」ってやつなのね,と.
誰かの祝いだから飲み屋に行き,主役以外から会費徴収,という日本の
庶民的スタイル(?)にずっと浸っていた自分には,とても新鮮!
Weißwurstで幸せになった人から満面の笑顔で
「ありがとう,美味しかったよ!」
と言われたら,ほかに何も要らないよなあ,と心底思った.
素敵な「Einstand」になりました♪
もちろん,片付けもこちらで責任をもってやりました(・・・納得).
No.20「Coburg」
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週末,同僚のPさん宅があるCoburgという街に招待されました.
Pさんの本業は,この街にある自動車部品メーカーの
材料分析部門マネージャー.
特別に職場見学させていただきました.
製品がらみの様々な分析噺を聞き,
同じように奮闘していたかつての自分が重なりました.
Coburgはガイドブックにも載っていない小さな街ですが,
古くはマルチン・ルター(宗教改革)が一時身を寄せたり,
ヴィクトリア英女王の夫君の出身地であったりと,
歴史深い街だそう.Coburgと隣りの街は,所属州がたまたま違っていたことが原因で
冷戦時代に境界(鉄のカーテン)が敷かれた場所.
再統一後に建立された旧東西をつなぐ巨大アーチ橋(Talbrücke Froschgrundsee *)
* https://de.wikipedia.org/wiki/Talbr%C3%BCcke_Froschgrundsee
を見上げながら,橋の特殊工法や,家族・親戚が政治の都合で引き裂かれる
理不尽さなど,Pさんは熱く語ってくれました.
旧市街に戻ってくると,美しいクリスマスマーケット(写真)のお出迎え.
人込みをかき分け,軒を連ねた屋台の間を歩くと,日本の夏祭りに来ているような感覚に.
冷えた体にGlühwein(ホットワイン)を流し込みむと,気分は一気に幸せモードへ.
お祭りはやっぱりこうでなくちゃ♪
仕上げはイタリアンのディナー.ドイツ人は美味しいものが食べたい時は
イタリアンなんだそう(・・・失笑).ムール貝を食べたいと言ったら,
どんぶりに山盛りで出てきました.久しぶりにタウリンを大量摂取.
思い出に残る休日になりました(Pさんに感謝).
No.21「これってもしや」
No.22「結晶模型」
No.23「酒の力」
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ソーセージのような加工肉ばっかりでは体に良くないだろうと思い,
生肉から始める料理に挑戦.こちらの肉(特に豚肉)は臭くて硬い.
少し火を入れたくらいでは,まずくてとても食べられない.
仕方ないので予めワインで煮てみることに.そうしたら鼻をつまみたく
なる程の猛烈な異臭が部屋中に充満(オェー!).
あー,これも失敗かな・・・と弱気になったが,
とりあえず一晩寝かせてみた.
翌日にグラッシュ(シチュー)の素を入れ,さらに煮込むこと2時間.
結果は,・・・意外に美味しいではないか(!).
その後,レシピに改良を加え,今では定番メニューに.
文字通り「煮ても焼いても」食えなかった素材を生まれ変わらせた
酒(ワイン)の力を実感.酒は飲むだけじゃないのね・・・
No.24「ニュルンベルグは遠かった」
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真冬だというのに今日は正午に10℃を超える春の陽気.
「サイクリング日和や!」と舞い上がり,
一度は自転車で行ってみたいと思っていた
ニュルンベルグ行きを決行した.
Google先生によれば,片道1時間ちょっとの行程.
日本にいる時はジムのエアロバイクで40分は漕いでいたから
楽勝だろう,とタカを括っていた.
いつもの通勤ルートを超え南へ南へと進む.
今日は向かい風が強い日だな(※),と思いながら
エッサコラエッサコラ・・・あれ,なんか変だな,
ちっとも進んでない気がする.数100メートル進むごとにGoogle先生に尋ねるのだが,
到着予定時刻がどんどん後ろにズレていく.
彼方まで続く畑の景色.漕ぐ足がだんだん重く,痛くなってきた.
農場小屋の脇で休憩.まだ半分しか来ていない(なんでやねん!).
進むべきか引き返すべきか...
迷った挙句,手前の街(フルト)まで耐えて頑張ることに.息も絶え々,
汗だくになってフルトに到着,動けない.1時間ちょっとで行けるって,
一体誰のスピードやねん!と心の中でツッコミを入れるも,むなし...(TT)
しばらくして周りを見渡す余裕が戻ってくると,小さいながらとても
綺麗な街であることに気付く.日曜でひっそりとしているから,
街を独り占めしているような贅沢な感覚に.ベーカリーで買ったアップルパイを
かじりながら,この後に待つ「地獄」をしばし頭から消し去る.
さあ,帰るか.あとは,・・・想像にお任せします.
結局,往復35 kmくらいの走行距離でしたが,1日の距離としてはたぶん
人生で一番漕いだのではないかと思う.マラソン選手は本当にすごい..
もう二度と同じ過ちは繰り返すまい,と心に誓ったのでした.
※実はハリケーンが近づいていたことを後から知る.
No.26「春遠からじ」
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もう2月も終盤.大した寒波に見舞われることなく,
このままイースターへ向けて温かくなるばかりかな,
と期待していたのもつかの間,ここ数日は寒い日が続いてきた.
明け方,まだ暗いのに外が騒々しいなと思って
起きてみると,何と除雪車が作業中.一面の雪!
ここエアランゲンは緯度でいえばサハリンの
真ん中くらい(北緯50度).
話によれば昨年同時期には氷点下20度,
積雪50センチくらいを記録したとのこと.この日は幸い
大したこともなかったのでチャリ通勤することに.
いつもは通り抜けるだけの自然公園の真ん中で一時停車(写真).
辺りはひっそりしているかと思いきや,鳥たちの鳴き声がいつにも増して聞えた.
突然の雪への嘆きか,雪解け水に追われた蟲を狩る掛け声か,・・・.
彼らの声が聞こえること自体,春がそう遠くない証だろう.
梅の香に代わるものと思うべし.
あー,春が待ち遠しい!
No.28「パンデミック」
No.29「パンデミック2」
No.31「差し入れ」
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ロックダウン開始から一か月以上が経過.
バイエルン州では4/20から制限がほんの少し緩和され,
屋外運動の際に家族ではない人も同伴OK(ただし一名限定)になった.
同僚のPさん(No.20で登場)が,大学での用事を済ませたあとに
立ち寄ってくれ,小一時間ほど一緒に散歩をした.
互いにマスクをし距離を保ちながらも弾む会話.
生身の人間と喋るのが久しぶりで,とても新鮮なひと時を過ごした.
別れ際に手渡されたのは,奥さんが焼いてくれた
ルバーブ(独:Rhabarber)のケーキ.
素朴だけど,甘酸っぱさが効いていて,美味しかった.
思いやりと優しさが詰まった差し入れ,生涯思い出に残るだろう.
ありがとう・・・(TT).
No.32「犬も歩けば」
No.33「ハマってます」
No.34「ついに到達」
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待ちわびていたロックダウン解除も徐々に進んできた.
以前挑戦して失敗に終わった自転車でのニュルンベルグ行き(No. 24)を
諦めきれず,再挑戦に向けて始動することにした.
問題は単に距離だけではなく,起伏や信号待ち,ルートチェック毎の停止,
そして天候(風向き)などの要因が少しづつ体力を奪っていた点.
やはり準備とタイミングが大切.
距離を犠牲にして高低差が最も少ないルートを調べたら,運河に沿って
南下するのがベストみたい.
まずは手前の街(フルト)まで練習で行ってみた.片道20kmの道のり,
信号も無く,順調に(Googleの言う通り)1時間で到着.
これはいけるかも(!)と自信を深めていったん帰宅.
1週間の体力温存期間を経て,週末,ついに決行の日が来た.
無風でも午後は暑くて消耗するから少し早めに出る.1時間でフルトに到着,
まだまだ行けそう(調子がいいぞ!).少しだけ休んで残り30分を走破.
ついに到達 v(^o^)v,パンパカパーン!!ニュルンベルグ城下を臨んで記念撮影(写真).
苦しみ抜いて書いた論文が採択されたときの達成感もいいけど,こういうのも
ストレートでええなあ,と4X歳のおじさんは一人で悦に入りました.もちろん,
往復60kmは体にかなりのダメージを与え,おじさん特有の「後からやってくる
筋肉痛」に後日苦しんだのは言うまでもありません..でもいいや♪
No.36「足(その2)」
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別れは突然やってきた.その日の朝,駅の駐輪場に
愛車(No.8で紹介)を停めておき,夕方に戻ってきたら・・・
ない,ない,ないー!!!
しっかり鍵をかけておいたはずなのに...
一緒に森や麦畑の中を駆け抜け,遠くまで連れていってくれた
相棒の姿が思い浮かび,しばしそこから離れられなかった.
ゴメンよ,許しておくれ...(TT)
傷心癒えぬままBさんに報告するも,
車体番号を控えていなかったので,どうにもしようがない.
近所に中古を扱っている店があることを親切に教えてもらい,
早速行って品定め.そして新たなパートナーを迎えた(写真).
一号との想い出を胸に二号と走り出す.今度は二重にロックして,用心用心.
Bさんからのコメントが良かった.
「Enjoy your new freedom!」
笑顔を取り戻しました(^^)
No.37「今は昔」
No.38 「戦争と平和 1」
No.39 「戦争と平和 2」
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ここエアランゲンにはかつてドイツ軍の基地が置かれていた
とのこと.第二次大戦後,今度は占領軍(アメリカ)の
駐屯地となり,東西冷戦終結(1989年)まで西側防衛のための
要衝であった.アパート近所には古めかしいレンガ造りが
並んでいるが,これらはその名残だったことを知り,納得.
その一角にひっそりと石碑が置かれている(写真).
長きに渡り戦争の惨禍に苦しみ,平時であっても
有事に備える前線とされた街の人々が得た(束の間の?)安息.
歴戦の雄(Marshall)が残した言葉がいらなくなる日は果たして来るのだろうか.
この街はその後,巨大企業(Siemens)の研究施設が次々に建てられ,大学(FAU)も
大いに発展,また環境先進都市へと変貌を遂げてきた.
(母国も含め)基地問題はまだ現在進行形で存在している.
No.40「Auf Wiedersehen!」
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この便りを書き始めてから10か月,少し早まった帰国の日を
迎えようとしている.
生活が軌道に乗り,余裕もできて「さあこれからだ!」
という矢先に見舞われたパンデミック(ロックダウン)は
強烈な体験だった.不安を感じることもあったが,幸いにも孤独,
悲壮とはほぼ無縁だった.
むしろ,この厳しい時期をドイツの皆さんと一緒に
乗り越えられたことを誇らしく感じてさえいる.
勿論,私のことを気遣ってくれた同僚達のお陰だが,それだけではない.
離れていても支えてくれた母国の皆さんがいたからこそ,こんな気持ちにもなれたのだろう.
この禍が教えてくれた最も大切なことだった.
新しい行動様式の中,こちらの同僚,学生と(少しだけ距離を縮めて)過ごせた最後の時間は
本当に充実していた.短かったが種は蒔かれた.
この種が芽吹き,育ち,実を蓄えるようになることを願いたい.
そのためには,再びこの地に足を運び(今度はより近い距離で)言葉を交わし,
手を握る必要があるだろう.だからこそ,
「さようなら(Goodbye)」 ではなく
「また会いましょう(Auf Wiedersehen)」
のほうがふさわしい,きっと...(^^)/~
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最後に,この場をお借りして,FAUスタッフ,関西大学の先生方,名古屋大学
超高圧電子顕微鏡室スタッフ,交流のある先生・研究者の方々,学生諸君,
そして家族に改めて感謝を申し上げます.本当に有難うございました.
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